| ■ 済法寺 (さいほうじ) ■ |
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宝暦3年(1753)広島国泰寺十一世・笑堂和尚が広島藩より扶持を得て、木ノ庄町木門田に
隠居し、三原宗光寺末の西宝寺に住していた。
宝暦9年(1759)栗原村樋口屋又兵衛の寄進により現在地に移転し、笑堂和尚を開山
とした。
済法寺七世喝童和尚の代・享和年間、尾道の問屋などの喜捨により裏山巨岩の中央最も
高い所に釈迦如来像を刻し、そのほか17の巨岩転石に正法護持の聖者達、十六羅漢像や
従者、阿羅漢像など総数23面・26尊者を半肉彫りに刻し、山全体を曼荼羅図に仕立てる。
第九世・物外不遷和尚は「拳骨和尚」の別名を持ち、柔術不遷流の開祖で、3千人の弟子を
抱え、幕末勤王僧として活躍した。 俳句にも長け多くの句を残す文武両道の傑僧で、寺には
物外和尚ゆかりの品々が保存される。
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| ■ 持光寺 (じこうじ) ■ |
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平安時代、伝教大師高弟・持光上人の草創と伝える天台宗の寺院であった。
永徳2年(1382)頓了和尚が浄土宗に改宗。
応永4年(1397)頃、幸範法師たちにより大般若経の書写が行われていた。
その後、沙門祖雲の発願により、元禄15年(1702)春3月大仏師・法橋安清に依頼して、
3尺5寸の本尊「五劫思惟阿弥陀如来坐像」が安置された。
墓所には江戸時代、全国的な「画乗要略」にも掲載された、当地方の代表的閨秀画家
「平田玉薀」の墓もある。
堂々たる構えの御影石の門、自分で握った土が仏になる「にぎり仏」で知られる。
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| ■ 光明寺 (こうみょうじ) ■ |
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平安の初期・承和の頃(834〜847)慈覚大師円仁和尚に始まる。
文明3年(1471)因島水軍の将、向島余崎城主・島居次郎資長寄進の「千手観音」は、
別名「浪分観音」。
山門の西には30mにわたり枝を伸ばす名木「蟠龍の松」がある。
本堂左手には第12代横綱陣幕久五郎の墓、
墓前に横綱自作の句「受けながら 風の押す手を柳かな」の句碑が建つ。
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| ■ 海福寺 (かいふくじ) ■ |
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元応2年(1320)遊行二祖上人の法弟・但阿弥和尚の創建。
境内の「三ツ首様」伝説〜江戸時代末期尾道地方を荒らした義賊3名が捕らえられ、
才ノ原刑場で断罪となる。
この3名が和尚の夢枕に立ち「我らを回向してくれたら、首から上の病を治す」と告げた。
早速回向し、以来「三ツ首様」に香花を手向ける者は頭痛・眼病など霊験あらたかと伝え、
香花が絶えない。
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| ■ 宝土寺 (ほうどじ) ■ |
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嘉慶元年(1387)融海意観和尚の創建。
裏庭には、融海の墓と伝わる古い五輪塔、西の坊の墓地には、江戸時代に御所崎の沖に
突出していた「浮御堂」の最後の住職・義順の墓がある。
本尊「阿弥陀如来」には長享3年(1489)の記録、
「大日本国備後州御調郡栗原保尾道之浦御所崎宝土寺之を」とある。
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| ■ 信行寺 (しんぎょうじ) ■ |
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建保二年(1214)浄土宗第二祖・鎮西聖光上人が向島の三つ石に
草庵を結んだのに始まる。
墓地内には尾道歴史書「尾道志稿」の著者「亀山士綱」の墓がある。
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| ■ 天寧寺 (てんねいじ) ■ |
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貞治6年(1367)尾道の豪商萬代道圓の発願により、足利二代将軍義詮が建立し、
普明国師を講じて開山とした。
三重塔は、国の重要文化財「海雲塔」。 羅漢堂には五百羅漢の群像が並ぶ。
また牡丹の季節は多くの参詣者で賑わう。
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| ■ 千光寺 (せんこうじ) ■ |
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大同元年(806)の開基、多田満仲の中興と伝える。
万葉集の古代から遣唐船など瀬戸内海を行き交う船に「霊山」として崇められていた。
朱塗りの本堂は赤堂とも呼ばれ、龍宮造りの鐘楼「驚音楼」と共に尾道水道から眺望できる。
本堂横の巨岩「玉の岩」は、岩上に光を放つ宝玉「如意宝珠」があり航海の目印になって
いたと伝えられる。
尾道出身の大林宣彦監督の映画「ふたり」のロケ地にもなった。
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| ■ 正授院 (しょうじゅいん) ■ |
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応永年間の開基と伝える。もとは禅宗であったが、浄土宗に改宗。
境内には、緋寒桜や椿、北山杉などが植えられ、訪れる人の目を楽しませてくれる。
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| ■ 妙宣寺 (みょうせんじ) ■ |
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京都妙顕寺の末寺。文和3年(1354)大覚大僧正妙實の開基。
本妙寺から勧請した「清正公神社」があり、等身大の加藤清正像を祀る。
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| ■ 慈観寺 (じかんじ) ■ |
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貞治4(1365)年、慈観上人が栗原村世計橋近くに建立、元和8年(1622)現在地に移転。
法隆寺を模したという風格ある二層屋根の本堂。
天保の飢饉では治安維持や救済事業として本堂再建を行った。
「牡丹寺」の愛称もあり、桜の季節を過ぎると境内に芳香を漂わせる。
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| ■ 善勝寺 (ぜんしょうじ) ■ |
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開基は遠く天平(729〜749)の時代、諸国に国分寺が建立された頃と伝える。
僧行基が諸国巡行のおりここに一精舎を建立し、萩の大樹をもって「聖観世音菩薩」を刻み
本尊とした。 「萩観音」とも呼ばれる。
「官人使馬の絵馬」は、海上で難風に逢った橋本次郎右衛門が、この寺の聖観世音菩薩に
祈って海難を逃れたので、異国からこの絵を持ち帰り奉納したとの伝え。
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| ■ 福善寺 (ふくぜんじ) ■ |
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但馬国の城主・太田垣因幡守の孫、甲斐守が出家、名を行栄法印と改め、天正元年
(1573)尾道を訪れ久保に道場を開く。 寛永7年(1630)現在地丹花に寺を移す。
山門は幕末に京都の大工が木組みを作り、尾道の大工が現地で組み立てた。
扉には鶴丸紋、頭上には龍が踊る。
境内一面に枝を広げているのは、尾道の三名松の一つで市の天然記念物の「鷲の松」。
映画「転校生」では一美のおばあちゃんの法事のシ−ンが撮影された。
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| ■ 大山寺 (たいさんじ) ■ |
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西國寺有縁の寺、寺伝によれば、延久年中(1069〜1074)僧・慶鑁により中興とあり、
承安5年(1175)の再建とある。
境内には、日限地蔵があり、日限を切った願い事、例えば受験の守り本尊として訪れる
受験生も多い。
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| ■ 常称寺 (じょうしょうじ) ■ |
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時宗二代遊行他阿真教上人が、正応2年(1289)に創建した。
往時は寺内に玉蔵庵、慶徳庵、など10庵があり、三体神輿で知られる祇園社も
この境内にあった。
現在、山門は鉄道と国道に隔てられ、民家の間にあるが、優れた建築である。
「白描画遊行上人絵詞」(重文)は時宗教団の傑作とされる。
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| ■ 持善院 (じぜんいん) ■ |
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寛治の頃(1090)西国寺再興の僧・慶鑁(けいばん)和尚の開基と伝える。
境内には弘法大師の勧請と伝えられる福寿の神・多賀皇神が祀られる。
正月の初詣の参拝者に配られる「干支の飾紙」は評判が高く、海外にまで送られている。
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| ■ 金剛院 (こんごういん) ■ |
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開基は明らかではないが、西国寺再興の僧・慶鑁(けいばん)和尚らによって、
永保3年(1083)山内寺院として建立されたと伝えられる。
境内の金毘羅宮拝殿の裏側に、「重軽(おもかる)さん」と呼ばれる石造の三体の天狗面
「重軽天狗」があり、「願い叶えば軽々と持ち上がり、願い叶わなければ重々と上がらず」
と伝えられている。
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| ■ 西國寺 (さいこくじ) ■ |
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天平年中(729〜749)僧・行基の開基と伝えられる。
仁王門にかけられた大わら草履は健脚を願っての奉納とか、この仁王門は仁王尊像ともに
安土桃山時代の作。
石段を登っていくと金堂、さらに三重塔が見えてくる、いずれも国重文。
寺には多くの文化財が保存されている。
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| ■ 浄泉寺 (じょうせんじ) ■ |
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大永5年(1525)御調郡市村・照源寺三世知春の子、宗圓の開基。
本堂屋根には畳8畳敷分という椰子口がある。
本堂の雨水を集める水盤を支える「天邪鬼」は、文政7年(1824)尾道の石工・丈助作。
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| ■ 尊光寺 (そんこうじ) ■ |
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往古より慈雲山尊光寺と称し、明暦三年(1657)慶順法師が、浄泉寺三世住職祐綽和尚に
帰依して建立した。
市内中心部で国道2号線以南の寺はこの寺のみ。
本堂は昭和48年建替えられたが、山門は300余年を経る。
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| ■ 正念寺 (しょうねんじ) ■ |
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天正2年(1574)覚阿弥陀仏の開基と伝え、また一説には天正13年(1585)遊行第31代
同念上人が諸国遊行の途中この地の地蔵堂脇に念仏道場を開いたのに始まるとも云う。
本堂格天井の、草花・鳥獣・人物ほか144枚の絵には、福山藩絵師藤井松林の名も見える。
また、昔、防地峠の関所越えをする旅人が喉を潤した井戸「延命の井戸」が今もある。
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| ■ 西郷寺 (さいごうじ) ■ |
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正慶年中(1332〜1334)遊行六代一鎮上人の開基と伝えられる。
文和2年(1353)に建立され、その後、慶徳庵・珠彌庵・松之寮・西の寮・東之寮など
尼寺12坊を末寺としたが江戸時代に整理され、西郷寺とした。
本堂・山門共に国の重要文化財に指定。
時宗の最古式の建築形式、屋根の稜線の美しさは白眉。
堂内には「鳴き龍天井」があり、手を打つと竜の鳴き声がする。
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| ■ 海徳寺 (かいとくじ) ■ |
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もとは久保沖の突き出た中州に、時宗の開祖・一遍上人が構えた「沖の道場」が起こり。
広い境内で相撲の地方興行が行われ、物外和尚(拳骨和尚)と地元若者との喧嘩話しが
伝えられる。
大正5年(1926)の大火で全焼し、現在地に移転した。
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| ■ 浄土寺 (じょうどじ) ■ |
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飛鳥(616)聖徳太子の創建と伝えられ、足利尊氏ゆかりの仏閣としても知られる。
本堂・多宝塔は国宝、山門・阿弥陀堂や、奥庭には伏見城から移築したといわれる茶室
「露滴庵」など国の重要文化財多数。
庭園「築山泉水庭」は国の名勝に指定されています。
大林宣彦監督の映画「ふたり」のロケ地になった。
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| ■ 海龍寺 (かいりゅうじ) ■ |
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古くは曼荼羅寺と称し、永仁6年(1298)創建。 尼寺であった寛文2年(1662)海龍王寺と
改められてのち京都泉涌寺末となり海龍寺となった。
境内には人形浄瑠璃・文楽座の始祖「文楽」と、浄瑠璃太夫・初代竹本弥太夫の墓がある。
岩場には山岳修験のための3ヶ所の行場に鉄の鎖が残っている。
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