南部の古寺


尾道市の南部の古寺ご紹介します。
海が見える寺、街中の寺、それぞれ特色のあるお寺です。
現在17ヶ寺を掲載

  専唱寺  (山波町)  
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延宝2年(1674)尾道久保町丹花にあった安養寺の住職・闡誉至心上人が、山波の東部に
あった専唱院宝大寺が廃滅しているのを憂いて専唱庵として現在地に建立。
文化9年(1812)火災に遭い、文正3年(1820)本堂を再建。
現在の本堂は昭和36年(1961)建替えた。
境内からの松永湾の眺望は、朝明け・夜景ともに素晴らしい。


  普門寺  (高須町横路)  
天正5年(1577)秀誉勝庵師が高須町大田の地に創建したが荒廃がはげしく、
元禄12年(1699)至信上人が、地元の人や沿岸漁師たちが信仰していた観音堂がある
現在地の横路に移し再興。
本堂は亨保年間(1716〜1735)に再建。 古くは寺の下まで海岸線であったと伝える。


  万福寺  (西藤町枝)  
古くは天台宗の寺院であったが、鎌倉時代には尾道西國寺末となっている。
慶長12年(1607)沼隈郡本郷村東蔵坊・宗心和尚が再建し真宗に改めた。
境内にある「石造宝篋印塔」は国の重要美術品。 山の斜面を巧みに造作した庭園を持つ。


  妙音寺  (神田町)  
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応永20年(1413)仏通寺塔頭永徳院開祖・一笑禅師を開山とする。
鳴滝山城主・宮地恒躬の子、宮地大炊介明光が、かつての吉和漁師たちの恩顧に応えて
堂塔を寄進、聖a尚を助けて創建、吉和漁師たちの信仰寺院となった。
現在の建物は江戸時代末期に再建。 墓地内の「石造宝篋印塔」は創建当時のもの。
山内の「秋葉明神」は吉和浦の船頭「萬徳丸」(吉波二郎右衛門)達が勧請した「火伏の神」
である。


  沖の観音  (浦崎町)  
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湾内にぽつんと浮かぶように建っている。小さな島の上に石垣を組みあげお堂が建てられ
たもの。


  海月庵  (浦崎町海老)  
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享保8年(1723)法運寺の第三世住職・海音和尚が隠居寺として建立した。
御本尊「十一面観世音菩薩」は海の守り神と伝える。 境内には「白寿観音」が祀られて
いる。


  勧正坊  (浦崎町)  
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越後国の中山左近が、明光坊長雲が布教の際帰依し、その後、嘉禎3年(1237)明光坊
に従い備後に来、そのまま小庵を設けて留まったのが始まりと伝える。
正徳5年(1715)14代住職・恵秀により勧正坊を称する。


  西金寺  (向東町歌)  
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和泉式部伝説が伝わる寺。歌人・和泉式部が厳島参詣のため船で西下のとき、海上
にわかに暴風がおこり舟を覆さんとした。
式部が観音菩薩を胸に深く祈誓すれば、風波たちまち静まり古江浦に安着し、浦人達に
迎えられ伽藍を建立し、観音像を安置した。
観音堂には和泉式部の念持仏と伝える聖観音像が祀られ、境内には和泉式部の墓と称する
石造五輪塔がある。


  西提寺  (向東町寺谷)  
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御本尊「聖観世音菩薩」2躰は「田植観音」と親しまれ、農繁期には地域の人々を手伝う。
伝えによると、御本尊が盗難に遭い四国伊予国に売られたが、その買い主の家に不思議な
出来事が続いた。 恐れた家の人が調べると備後歌島の観音様とわかり寺に返された。
「聖観世音菩薩」は国の重要文化財。


  普賢堂  (浦崎町)  
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小さなお堂だが、高所に位置し、浦崎の湾が見渡せる眺望が美しい。


  法運寺  (浦崎町下組)  
永仁6年(1298)法灯円明国師により開基。
天正14年(1586)沼隈郡三宝寺・天勢虎旭和尚による再興の際、曹洞宗に改宗。
新築された本堂が目を引く。 境内には弘法大師の石造巡錫像がある。


  玉林寺  (久山田町)  
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仏通寺・一笑禅師を開山として永正11年(1514)創建と伝える。
御本尊、十一面観世音菩薩は大仏師・安阿弥快慶入神の絶作と云われている。
周辺地域からは、弥生時代の銅剣・銅鉾や、土器片などが出土する。


  西願寺  (吉浦町)  
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古くは鎌倉時代、吉和・吉浦・栗原郷など大炊寮領・年貢米積出の公文所で、字「クブン」に
在り、西楽寺と称した。
元和2年(1616)仏通寺・梅心禅師を迎えて再建、宝永6年(1709)筑後の人月耕和尚に
より現在地に移転した。
尾道出身の大林宣彦監督の映画「さびしんぼう」のロケ地・ヒロキの自宅となった。
境内からは、橘百合子の通う女子校の舞台となった日比崎中学校が見える。


  阿弥陀寺  (吉和西元町)  
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かつて吉和の漁も手漕ぎ舟であった、2丁櫓を夫婦であやつり遠く県外まで漁に出る。
両親が漁に出て幾日も帰らぬ間、子供たちが寄宿生活を送ったのが「尾道学寮」。
水上生活をする者も多く、波止場造りは死活につながる事業であった。
そんな吉和の人たちの墓所がこの寺にある。


  河内寺  (栗原町)  
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9世紀・慈覚大師によって草創された天台宗の寺院で、平安時代の庄園・河南庄随一の
大寺であったが、庄園支配の崩壊とともに寺も衰退した。
享保6年(1721)沙門慧念和尚が発願・喜捨を仰ぎ、広島藩の知遇も請け、現在地に
七堂伽藍を整えて再興した。 その後火災により毘沙門堂(現本堂)を残すのみとなった。
寺に保存の、平安時代末期の仏像16躰は市重文。


  菩提寺  (栗原町向山)  
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毛利家の一族で播州賀古三木の城主・三木三良右衛門源道次が大阪の陣に破れ、世の
無情を感じ、追手から逃れるため武門を捨て家伝の秘仏を携えて、名を「閑西」と称し、
本願寺十二世・准如上人に帰依、元和元年(1615)栗原町松岡の地に草庵をむすぶ。
寛永3年(1626)諸堂を建立し、完成の日、暁天の空に紫雲たなびくを見て
「紫雲山菩提寺」と号し、開山となる。
明治39年(1906)地すべりを逃れ現在地に移転完了。 境内から新幹線新尾道駅が
見える。


  明光寺  (栗原町川上)  
平安時代の草創と云われ、現在地から北東約1kmの山麓にあったと伝える。
度重なる戦禍で焼失したが永禄13年(1570)石丸土屋家の援助のもと、宥遍和尚が
「普門山無量寿院平之坊明光寺」と号し、現在地に中興した。
爾来400有余年を経て老朽著しく、第十八世重郷和尚により本堂大改修に続き持仏堂を
再建。




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