| ■ 法光寺 (美ノ郷町三成) ■ |
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室町時代、僧侶・道久が鎌倉より来たりて備後市村雲雀山の東山麓に一宇を建立し、雲雀山
城主・池上因幡守が帰依し、山林田畑を寄進し城東山法光寺と号したと伝え、
明治16年(1883)当時、美ノ郷町三成に真宗寺院が無いことから地元の要望で現在地へ
移転。 山門は江戸期のもので、天寧寺から移築された。
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| ■ 宗重院 (美ノ郷町三成) ■ |
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万治元年(1658)三原・宗光寺第四世・天安養宅禅師の開基と伝える。
城を思わせる石垣。本堂左側の静寂なたたずまいが印象的。
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| ■ 圓廣寺 (美ノ郷町本郷) ■ |
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創建年代は不明であるが、元亨元年(1321)高垣肥前守が再建したと云われる。
寺に保存されている大般若経の奥書に延文2年(1357)修理玄関、至徳2年(1385)
西国寺住職「宥印書写」などの銘文が見られ西国寺との関係が深かった。
大わら草履がかけられた山門は仁王さんが護る。
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| ■ 大通寺 (美ノ郷町中野) ■ |
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古くは臨済宗仏通寺派寺院として、中野上組寺谷に開創された。
開創年は明らかではないが、寺号は仏通寺開山・愚中周及禅師の朝廷よりの贈名である
大通禅師の名をその隠居所につけて寺としたと伝えている。
天正元年(1573)浄土真宗本願寺派に改宗。境内に親鸞上人行脚の像がある。
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| ■ 九品寺 (木ノ庄町木門田) ■ |
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古くは谷巌山と称して竜泉寺谷にあったが、明暦2年(1656)に大雨で流され、ご本尊の
観世音菩薩が流れ着いた当地に元禄元年(1688)尾道西国寺宥智僧正によって再建
された。 明治11年に再建された本堂には、33年に一度開帳される、秘仏本尊
「聖観世音菩薩像」が安置される。
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| ■ 永正寺 (木ノ庄町畑) ■ |
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睡虎山永正寺。天文5年(1536)開基と伝えられる。
御調郡誌に「睡虎山と称す、伊予今治の人・柿原某、此山遠望し形睡虎に酷似し頗る雅致
ありとなし、来りて一宇を創建す・・・」とある。
「柿原某」は鳥取にあった城主の次男・柿原孫右衛門であるともいわれている。
元は臨済宗仏通寺派であったが第一世・理圓和尚が、天和2年(1682)真宗に改宗したと
伝える。 本堂は近代建築・入母屋造り。自然に囲まれ、季節の彩りが美しい。
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| ■ 光福寺 (木ノ庄町市原) ■ |
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開基は明らかでないが寛永3年(1626)の創立、貞亨4年(1687)の再興と伝えている。
御本尊「地蔵菩薩立像」は高さ2mも有り、備後地方の木造地蔵菩薩像としては最大の尊像。
この市原地区は古く尾道から市村・甲山・世羅と大田庄へ通ずる旧街道で、塩の道・米の道・
出雲街道・石州街道などと呼ばれた街道筋で市村から峠越えをして来た人の休み場として
茶屋などがあった。
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| ■ 光林寺 (木ノ庄町木梨) ■ |
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慶長15年(1610)沼隈町山南・宝光寺の里尊法師が開基。
その後大火により焼失したが寛文元年(1661)現在の地に再建した。
境内にある根回り3.8mの老松へ寄り添うようにまつわるノウゼンカズラは、全高24m
根回り1mの大樹で6月下旬から7月上旬にかけて、淡い朱色をしたラッパ状の可憐な
花を咲かせる。
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| ■ 妙得寺 (原田町梶山田) ■ |
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古くは真言宗であったが、日慶和尚が西国巡教中、慶長2年(1597)荒廃した伽藍を再建
し、瀧口山と名付け開山となった。
境内に苔むした五輪塔や宝篋印塔がある、東南の山・蛭子城跡にあったものと伝える。
永正4年(1507)鷲尾山城主木梨元清に攻め滅ぼされた蛭子城主・横山宗重一族の悲運の
墓碑である。
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| ■ 世音寺 (原田町小原) ■ |
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大同元年(806)建立。 もとは地名を夜討峠畑山と呼ぶ丘の峰にあったと伝えている。
戦国時代、木梨元清と小原中山城主・三浦氏との戦いのとき寺を焼かれたが、
本尊十一面観世音菩薩は難を逃れた。
その後万治元年(1658)に福山市山手町三寶寺六世通天梵達和尚の遺命により、現在の
地に本尊を遷座し曹洞宗となった。
たびたびの火災で旧記を失している。
本尊十一面観世音菩薩立像は容姿端麗で鎌倉時代末期の優れた尊像。
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| ■ 妙教寺 (原田町小原) ■ |
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記録に「京都本山妙蓮寺開山・日像上人第八世之法孫・大僧正日應上人、明応9年(1500)
創立、号「法燈山妙教寺」・・・」とある。 説話によると当時同地の豪族千原家の支援を受けたとある。
五間四面入母屋造り本堂、西側に雨乞いの神「番神様」が祀ってある。
建立当時は原田町の江ノ木谷にあったが、宝暦3年(1753)現在地に移した。
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| ■ 最円寺 (原田町小原) ■ |
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古くは真言宗の寺院で、歴応元年(1338)小原村中山城主・三浦相模守智満入道が氏寺
として花野山満月院最勝圓寺と称し、浄土真宗に改宗した。
永正4年(1507)中山城は、鷲尾山城主木梨元清に攻められ、城主三浦賀親は敗れて
9月9日城を焼き自刃して果てた。 以来里人は「栗の節句」を祝わなかったと云う。
元禄12年(1699)現在地に移し、寺名も「華野山最円寺」とした。
本堂前には、尾道市原田町出身の彫刻家・矢形勇氏寄進の慈母観音像がある。
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| ■ 成願寺 (西藤町上組) ■ |
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寺の由来書によれば、「本尊十一面観世音は、天平年間(奈良時代)行基の作にして極楽寺
大日如来、尾道西國寺の本尊・薬師如来と同木の霊沸にて霊験あらたかなり、ここに
於いてか領守より寄附の田畑拾町、古銭拾貫代々附来り御祈願所たりしが文禄年中
(安土桃山時代)寺領をとり上げられ堂宇類廃す」との旨寛永2年に記したる縁記に見ゆ。
尚享和3年の記録によれば「寛政4年8月大風に吹倒され喜捨を得て再建すと」
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